今日は母親と(精神的)殴り合いのケンカをしたオキエです。
「なんでも出来て頼りになるお姉ちゃんというのは本当はどこにも存在していない。ここにいるのは頼りないもうすぐ還暦のおばあさんだけなので、いつまでも何でも私に頼っておけばいいと思うのはやめてな。」
と言いたかっただけなのですが、売り言葉に買い言葉で、子供のころから腹に溜まった怒りまで飛び出して、母も負けじと恨みつらみ放出で、見事なほどに罵り合いました。
「私は本当は親友と同じ商業高校に行きたかったのに、交通費がもったいないと言われて近所の市立の普通科に無理やり行かされて、だから勉強しろとテレビも禁止されて、あの頃は息をするのも苦しかった。なのに弟は二人とも普通にシレっと遠くの私立に入れてもらってたん、なんやさ!!」
まで出てきてた。
おそるべし、積年の恨み。
冷静になれば親も若くてそしていっぱいいっぱいだったという背景も理解できるし、戦後あまりにも時代が変わりすぎて、母の世代の女性は一種の被害者かもと思う側面もあります。「こういうものだ」と教わってきたはずの母親像が、社会情勢の変化で機能しづらくなってて、例えば昨今話題の「毒親」も、昔は当たり前の親の愛の形だったように思えます。
そして自分自身の考え方が昔と随分変わってしまったというのもあります。「お姉ちゃんだから、私が母を守る」って確かに自分で言ってたので。母はただ純粋にそれを信じてたので。
こういった気持ちのすり合わせを長らく怠ってきたツケが、夫の病気による家族構成の変化を目前とした今、噴出してきたわけです。
なので今日の罵り合いもある意味必要なプロセスかもしれませんが、疲れました。
母にはいっぱい迷惑をかけたのもすごく助けてもらったのも事実だし、母を大切にしたいと思う気持ちが無いのではありません。
大切にし続けるための距離の取り方の共通認識を、これから構築して行かなきゃいけないんだな、といったところです。
しかしまぁ
逆に考えれば、うちの子供達も色々と溜まってる事があるのではと思います。本当にダメ母でしたので。なかなか認識するのは難しいだろうけど、でももしいつか何か言いたい事が出来たら、私は真摯に受け止めるよう努めますので、遠慮なくどうぞ。
余談ですが
昨日は夜8時から「お芋が食べたい。お芋なら食べられるかも。」と言い出した夫のために、スーパーに行きました。
美味しかったみたいで良かったです。
夫様、今夜は親子喧嘩の仲裁をありがとうございました。