50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

がん患者のキモチ

 

 

眠いオキエです。

 

昨夜は一般人風の十二鬼月に追いかけられる夢を見て怖くて叫んで目が覚めて、それから眠れませんでした。キレイで大きい宝石のペンダントを6個も盗まれた。返していただきたいです(現実では持ってないけど)

 

なので朝は二度寝をして、昼からは旦那が治療していただいている病院へ行きました。旦那の抗がん剤治療用器具の、家庭内における取り扱い方の講習を受けるためです。

 

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怖かった。

針を抜く瞬間がめちゃめちゃ怖かった。

 

でもがんばって慣れていきたいと思います。


それから、がん患者ケアの研究をしておられる先生たちから、研究のためのインタビューを受けました。以前から旦那が継続して受けているインタビューの一環ということで、今回は娘も一緒に、家族の意識や家族間のやり取りについての聴きとり調査という感じでした。

 

余談で、オキエが自分のがんについて「生きてる事への感動がどうしても強く出てきて、不安や恐怖があっても自然に消えてしまう。」という話をすると、そういう捉え方を聞いたのは初めてで驚いています、みたいに言われました。

 

そうなんや。

あんまりポピュラーな捉え方ではないんや。

 

まあオキエも今はそう思っているだけで一年後の事はわからないし、状況が変われば違う感想を持っていたと思います。


子供達が大人になって、やりたい事を一通りしてきて、旦那と落ち着くところに落ち着いた今この時だから、たまたまそう感じるだけではないかと思います。これからもし孫ができたり、新しい夢に出逢ったりしたら、またそこで違う感情が出てくるかもしれない。

 

ただ、がんになってすごく感じているのは、がんがあまりにも社会で深刻に特別扱いされている病気だという事です。

 

看護師さん達の気の配り方、優しい対応の心がけ方も半端なくて、オキエはそれを見てなんだか逆に怖くなりました。友人達の反応なんかも、こっちが心配するくらいショックを受けててビックリしたこともあります。

 

人間いつかは必ずみんな死ぬし、今は半分の人ががんになる時代なのに、まだこんなに特別な病気扱いなんやな。と思うと、ちょっと不思議なんです。

 

もちろん気持ちはわかります。旦那のがんを聞いた時は私もそうでした。

 

でもね…

 

それ以外の病気もしんどそうやで。ダイレクトに死に結びつかない病気でも、抱えて生きる大変さは相当のものやと思うで。逆に年老いて動けなくなったまま生き続けるという並々ならぬ経験もつらいと思うで。

 

生まれた以上は誰でもどこかで死のきっかけと向き合う日が来るわけです。

 

なので「がん」も、50を過ぎたくらいから、人生に起こりうる様々な出来事のうちの一つとして、もう少しライトな存在になってもいいんじゃないかな?という気がしています。

 

あら「がん」なのね?くらいに。

 

社会全体がそういう気風になってきたら、一人一人のショックの受け方も少しは変わってくるような気がします。そしたらもっとニュートラルにこれからの人生に向き合えるかもしれん。

 

あくまでも勝手に個人的に、そういう気がしているだけの話ですけどね。

 

障害もLGBTや国籍、育った環境なんかも、「あらそうなのね。」くらいの感覚で捉えあえたら、もっと楽に息ができる社会になるように思うんだけどな。

 

昔、「真剣と深刻は違う」と教えてくれた人がいました。とっても衝撃を受けた記憶があります。その言葉が今のオキエの考え方の土台にあるのかもしれないです。

 

悲壮な深刻さを持たずに真摯に問題に取り組む姿勢は、これからも大事にしていきたいところです。