50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

雪組公演と思考考察

 

今日は家事集中ウィークの中休みということで、宝塚を観に行ってきたオキエです。


『Lilac(ライラック)の夢路』-ドロイゼン家の誇り-

『ジュエル・ド・パリ!!』-パリの宝石たち-

 

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いま宝塚歌劇団界隈では著作権のスタンスが明瞭化されて話題なのですが、ネットに上げて良い写真は自分も写ってる記念写真だけみたいな感じだったので、とりあえずオキエも映ってます。でも目尻のしわがひどすぎたのでそこはカットしちゃった。

 

だって…女の子だもん。

 

 

さて

 

大好きだった希和ちゃんが退団して以来の久しぶりの雪組さん。

 

お芝居の方は至ってシンプルなお話でしたが、一回しか観に行かない人間にとってはわかりやすくて丁度いい感じだったかも。何回も通ってたらそのうち寝るかもしれん。っていうのはありますが。

 

でも、とにもかくにも大ハッピーエンドなので、それだけで幸せになれました。

 

ショーの方はと言うと、今回のお席「28列32番」がオキエ的神席すぎました。

 

和希そら氏の「すごいもん」がオペラに飛び込んできた。

 

それが投げキッスだったのかウィンクだったのか指さしだったのかあるいはその複合だったのか、もう覚えてないんです。ビックリしすぎたのでその瞬間ショートしました。

 

最近野球ばっかり見てるので、こっち(の方向)に向かって何かアクションがあるというのが完全に想定外になってたと思います。

 

いやぁ~、ビックリした。

でも宝塚はやっぱり素晴らしい。

 

新トップ娘役の夢白あやちゃんと野々花ひまりちゃんが「ギャンかわ」だったとか、あーさにすごく貫禄がついてて感動レベルだったとか、まぁ色々ありつつの楽しい観劇でした。

 

 

さて

 

話はがらりと変わりまして

 

昨夜「ワクチンの受付は午後4時で終了です。」と言われて、観劇が終わってから間に合うかどうか悩んでいる夢を見ました。

 

公演が終わるのが2時、そこから車で1時間半で帰って来れるから間に合うはずなんだけど、もしGW渋滞とかに合ったらヤバいな。どうしようかな。観劇をあきらめるべきなか。と、すごく悩んでました。

 

 

結局それは夢だったわけですが、今日の帰り道はすごい時計が気になりました。

 

「4時までに帰れるかどうか。」というキーワードだけが強く残って、意味もなく4時を意識し続けてしまったのです。何も無いのに3時半に帰って来れてホッとしました。

 

たびたびこのブログでも取り上げているテーマですが、年を重ねるごとに、夢(空想)と現実の境界線があいまいになってきていると感じています。

 

昔、ドラマで親不孝な娘役をしていた女優さんが「タクシー運転手のおじさんに説教された」と話していて、「そんな殺生な」と笑って聞いてましたが、そういうことなんかも。と思っています。

 

もちろん夢(空想)と現実は違うと頭ではちゃんとわかっています。

 

でも実は「今ここ」で直面している現実以外は、すべて空想と同じカテゴリーのものなわけです。実際にあった出来事もどんなに頑張っても「今ここ」の現実にはなれない、頭の中にしかいられない存在です。

 

そんな混ざりまくった記憶の中で、強く印象に残ったキーワードに思考が引っ張られがちになってしまうわけです。若い頃はそれでもちゃんと現実・非現実の区別が出来ましたが、この境界線が曖昧になってくると、弊害が起きてくる可能性があります。

 

これは常に意識しておきたい事です。

 

例えば、いつも子供の心配をして「子供にもしもの事があったら」というキーワードに引っ張られていると、オレオレ詐欺等に騙されやすくなってしまうのではないか?

 

怒りっぽくなったとか頑固になったとか人の話を聞かなくなったとかはよく「老害」として扱われがちだけど、これらはシンプルに区分能力の低下ではないか?脳内の「仕事とはこうあるべき」「若者とはこうあるべき」のキーワードに引っ張られて、今ここの社会情勢が見えていないのではないか?

 

と、憶測しました。

 

問題はオキエ(老)側がちゃんとそれを認めて受け入れられるかどうか。

 

どこからが病気の域になるのかオキエには分かりませんが、どうせ引っ張られるなら、自分が楽しくてほがらかでいられるキーワードに触れられるよう、環境を意図的に整える事が、ひとつの対策になるかもしれません。

 

そして、出来ない事が増えていく事実を、若い人には適わなくなってきて当たり前なのだという現実を、老いと共にちゃんと受け入れよう。受け入れた上で、楽しく生きれる道を探そう。

 

など、考えていました。

 

 

目指せ、かわいいおばあちゃん!!

(ひょっとしたらこの発言こそ空想と現実の区別が以下略…)