50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

楽しく老いる研究会

 

今日もよく働いたオキエです。

 

さて

 

最近友人達と話しをしていて感じることを、ずっと色々考えていました。

 

 

そして出た結論は、年をとる上で対峙するべき最大の山は「不安」ではないか。という事でした。

 

とにもかくにもみんな不安だらけ。

老後ちゃんと生活して行けるかどうか、不安なんです。

 

でもこれはお金が沢山あったら解決するという問題でもなさそう。

 

なぜなら、私よりはるかに恵まれた環境にいると思える人ほど、不安が強そうに感じるからです。え、自慢かな?と思うくらい豊かな状況「しかない」話を心底不安げに話す姿を見ていると、問題は別の所にあるような気がしています。

 

まぁたしかにオキエも怖いです。昨夜は仕事の内容が全く分からなくなって焦っている夢を見ました。夫も私も仕事が出来なくなって収入が途絶えたらどうしよう、という不安があるのだと思います。

 

でもこの「不安」に足元をすくわれてしまうわけにはいかない。

 

私は楽しく老いたいんです。

老いを楽しみたいんです。

 

出来なくなって行く事、失って行く事を驚きたい、コメディとして経験したい。

 

だって誰もが通る道やで。

自分だけ損をする話じゃないんやで。

 

基本的に死に対しては腹をくくる経験をさせてもらったので、あとは何とでもなるという気持ちが根本にあるんですが、お金の計算をしだすと本当にブルーになってくるねんなこれが。若いうちは「働いたらええやん」と思って何でも乗り越えられたから、要は労働する力を失う事が一番怖いってことなのかな。

 

結局「死ぬのが怖い」というより、「ちゃんと生きられなくなるのが怖い」っていう話になるんですよね。

 

「老後はこう生きるべき」「こう死ぬべき」みたいな<正しい>概念が、ひいては現在の不安を増長させている、そんな側面もあるように感じます。社会的優等生としてふるまいながら長生きせねばならないと思うと、めちゃくちゃしんどい。

 

誤解を恐れずに言うと、孤独死野垂れ死にも「悪」ではないと思うんです。そうやって独りで清々しく死んで行く事を良しとするのも有りちゃうかな、と。そりゃお釈迦様のように死ぬのが一番いいのかもしれんけど、それはお釈迦様のように生きないと無理な話やしね。

 

現代社会の正しさって子供にも大人にも無理ゲーを押し付けすぎちゃうか。

 

オキエはいつどこでどんな状況で死んだとしても、この人生で関わった全ての人達に感謝して、愛する人たちの幸せを願って、逝ける自信があります。だから悲しまないでほしいと思うし、だからこそ今この時を楽しんで生きたい。

 

「不安」が出てきた時は旅を思うようにしています。そうすると心を広げることが出来て、気づけば歌い踊っています。「東北暮し計画」は私の北極星です。そこを目指していたら、なにがあっても大丈夫、と思えて来るのです。

 

それに不安になって状況が良くなるならなってもいいけど、そうじゃないなら今を「楽しむ」に居続けたいじゃあないですか。

 

楽しく老いる研究会を立ち上げようかしら。

 

 

 

全然話は変わりますが

 

最近のランチの撮りだめをアップしておきます。

 

なんの意味もありません。

(せっかく撮ったのでなんとなく)

 

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