50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

クラファン迷子

 

土曜日のオキエです。

 

今日は午前中にカーブスや買い物を済ませ、昼からはのんびりした時間をすごしています。

 

なので、最近の悩み事について、ちょっと書いてみようと思いました。

 

いま、寄附やクラファンの募集が多すぎて、どこにも何にも出来なくなってしまっています。

 

今まで積極的に寄付して来た困窮者支援だけではなく、近頃はイベントや事業立ち上げの資金調達系のクラファン等も多く、これがまたリアルな知人や友人ががんばっていたりするのだけど、誰かだけを選ぶことも出来ず、身体がそっちに全く動かなくなってしまっています。義理のチケット購入とかも、同じような感じです。

 

一律給付金が出た時は寄附に関しても活動的だったオキエですが、

オキエの「推し」事情 - 50女の遊び方

 

そのあと夫婦そろってがんの手術をして、がんと共存(夫)しながらの暮らしが始まり、老後の生活をわが身の事として考えるようになって、なんか威勢の良いことが言えなくなってきた感じです。

 

国民年金しか収入の手立てが無い母を養いながら、この先老いて行くわが身の事を考えるのは、正直とても心細いものがある。

 

まぁ

 

旅行とか道の駅ショッピングとか観劇とかを減らしたら少しは余裕も出ると思いますが、他人のイベントのために私が心から大切にしているイベントを削るのも何か違うやんな。と、誰も何も責めてないのに宙に向かって言い訳している自分がいたりします。

 

助け合いが大事なのは百も承知。でも、私が個人的に納得できて積極的に行いたい助け合いの手段が、いまはそっちじゃないねん。と言うだけの話ですが…

 

とにかく、寄附はいま全てストップしています。

どうか不義理をお許しください ( ノД`)

要はどこかでこれを吐き出したかっただけかもしれん。

 

困窮者支援に関しては、さらに複雑な思いがあります。

 

今私はまだ遊びに行く余裕を持って暮らしているのに、今まさに途方に暮れて困っている人に対して何もしないのはどうなん。っていう気持ちがいつも責めてきます。

(継続支援も今はテラ・ルネッサンスのみ)

 

でもこの気持ちが行き過ぎると、自己崩壊につながるのも知ってます。

 

ただ、困窮者支援に携わってくださっている人たちには、同じ日本に住む社会人として借りがあると思っているので、寄付は積極的にしたいとずっと思って生きてきました。

 

しかしこちらも、応援したい団体が多すぎてなんかドツボにはまって、精神的な逃避を起こしている状態です。

 

 

でもまぁ、

 

時は流れるし。

 

 

また積極的に動きたい時もやってくると思います。

 

今はそんな自分を受け入れたいな。

 

 

文字にすると気持ちが整理できるのが本当にすごい。

 

だからブログはやめられない、そんな土曜日のオキエでした。