50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

阪神淡路大震災から25年、に思う

 

今朝はN氏のマレーシア土産のティーパックコーヒーから一日が始まったオキエです。

 

f:id:okie50asobi:20200117221942j:plain

 

Kopi O (コピ・オ)

 

コピとはすなわちコーヒーの事で、横の「0」はコンデスミルクが入っていない、ゼロであるという意味らしいです。

  

マレーシアの飲み物には、基本的に砂糖もコンデンスミルクも初めから入っているので、コンデスミルクも砂糖も抜きたい場合はコピ・オ・コソンと言うんだそうです。

 

減らすために足していくのね。

文化が違うと混乱するね。

 

ということで、これにはお砂糖が入っていました。

 

f:id:okie50asobi:20200122124305j:plain

 

甘くて美味しかったです。

 

ちょっとハマっちゃうかも。

 

 

さて

 

阪神淡路大震災から25年が経ちました。

 

オキエ家に被害はありませんでしたが、あの日から世界が一転してしまったような感覚は、ありました。

 

平和で波風のない世界の中で、サザエさんのように永遠に暮らしていくと思っていたのに、そこから何もかもが変わり始めたような気がしています。

 

あの地震が創った空間の歪みから、まるで別の世界に迷い込んでしまったように、そこから出逢っていった様々な人、学び、仕事。

 

色んなことを考えるようになりました。

 

 

 当時の新聞で読んだ記事ですが、

「震災で壊れた我が町と、避難先の平時のままの町を行き来していると、どっちが本当の世界かわからなくなる。」と言った人がいました。

 

また、これは東日本大震災の頃の話ですが、

隣家からのもらい火で火事になった人が、「震災で困っている人にはみんな仮住まいとか食事とか提供して助けようとしてあげるのに、私達の事は誰も助けてくれない。私も火事じゃなくて自然災害にあいたかった。」と言っていたのを聞いたことがありました。

※ちなみに彼女はその後、当時市会議員をしていた友人がサポートし、無事窮地から抜け出しました。

 

 

大きな災害も小さな災害も、被る人にとっての苦しみ・悲しみは比べられるものではないはず。

 

 

そして、驚くほどに日常と非日常は背中合わせ。 

 

 

私たちは、無事幸せに暮らせた有難い今日という一日の中で、テレビの向こうの人に心の中で思うだけではなく、目の前の人たちに、もっと親切に、もっと親身にできることはないか、少し注意深くなってもよいのかもしれない、と感じています。

 

 

余談ですが

 

いつも自分から友人に電話をかけて様子を聞いて、ふさいでいる人がいたらランチに誘おうとしたり、認知症気味と聞いてますます電話の頻度を上げて会おうとしたりする母なんかは、実はすごい人だと思います。

(娘依存をことごとく拒否し戦った結果の今ですが)

 

なので

 

阪神淡路大震災、その後も続く様々な災害に被災された方々の幸せと、そして今もどこかで泣き悲しみ苦しんでいる人の幸せを祈って、今夜は眠りにつきたいと思います。

 

みなさんどうか、心安らかな日が来るまで、ご無事で。