今日はお仕事が急遽中止になったので、梅田のドイツ・クリスマスマーケットに行こうと思いました。
が、玄関のドアを開けて雨が降っていることに気が付いて、断念したオキエです。
せっかくお化粧もしたのに。
背中のカイロも二枚に増量したのに。
本当は雨くらいへっちゃらで出かけたいのですが、五十肩の身に傘さし歩きは修行すぎるのであきらめました。
さて
今年のクリスマス(冬至)は、いつもと違うエネルギーを感じています。
オキエ自身にも、不思議なことがたくさん起こっています。今までずっと自問自答して悩んでいた問いに、バンバン答えが送られてきています。
ビックリする。
まるで昨日と違う空間を生きている感じ。
「え、私、生きてるやんな?」と、ちょっと怖くなるくらい。
とか思ってたら遠方に暮らす幼なじみから「生きてる?」という生存確認のメールが届きました。
どうなってるんや。
そんなオキエが長年悩んできた問題の一つに
「いま多くの人達が苦しみや悲しみの真っただ中にいるのに、こうやって好きな事して幸せに笑って暮らしていていいのか。」
という「自責の問答」がありました。
戦争、災害、暴力や孤独、貧困の中で苦しむ人々を救うために、何をどうしたらいいかわからずずっとモヤモヤしていました。
「それは神様の考えることやで。」
ふと、今朝エンジェルに言われました。
~以下、エンジェルトーク~
オキエは神様じゃないので、そこまで考えるのは自意識過剰やで。オキエはオキエの立場から物事を見てたらいいんや。
もしも戦争や災害で苦しむ人を見たのなら、その人の幸せを祈ればいい。
もしも虐待や放棄で泣いている子供を見たら、その子供の幸せを祈ればいい。
それだけや。
それを世界全体の戦争や災害、暴力などに置き換えてどうしたらいいか悩むのはオキエの仕事では無いんや。
オキエが見たその人の苦しみ、悲しみが救われるように祈るだけでいい。
その時に大切なことは、その出来事をなるべくニュートラルな眼差しで見ることや。哀れみや正義心、義務感や自己犠牲はいらない。ただ純粋に自分がその立場だったら送ってほしいと思う心を祈りにこめるだけでいい。
その祈りから何かの「やってみよう。」が生まれたら、シンプルにそれを実行すればいい。時に、勇気を使って。
それだけのことや。
もうあほみたいに難しく考えるのはやめとき。
う~~~~~~~~~~
返す言葉もない。
もう難しく考えて悩むのはやめます。
辛いニュースを見たときには、悲しむ分のエネルギーを幸せの祈りに使います。そうすれば、オキエがやるべき事はきっと見えてくるはずなのですね。
世界はいつだって、シンプル。
結局今日一日家の中にいたオキエに、友達が送ってきてくれた京都駅のクリスマス・ツリーの写真。
キレイやな~
今年は、本当のクリスマスまでには必ず町に繰り出したいと思っています。
何かが私を呼んでいる気がするから。
そう…
Into the unknown~!!
※要するにアナ雪2の観すぎ聴きすぎ。
※夢でもずっとこの歌流れてる。