正午を過ぎたあたりから、しんどさが増して行ったオキエです。
パス。
無理。
あきらめの色も濃くなり始めました。
最終目的地の1丁目に向かって、3丁目のなだらかな道沿いにある建物だけを見て行きました。
「西園寺公望別邸・坐漁荘」
伊藤博文氏の腹心として働いた政治家・西園寺氏が政治の第一線から退いた後に、清水港近くの興津の海岸に建てた別邸です。
「坐漁荘」の名には<なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす>という意味がこめられていたそうですが、実際には事あるごとに政治家が訪問していたのだとか。まあそりゃそうなるわな。
「幸田露伴住宅・蝸牛庵」
小説家の露伴氏は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼んでいて、幾度も住居を変えたそうです。ちなみにこの家で暮らしたのは10年ほどらしい。
「芝川又右衛門邸」
(旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目、建設年代:明治44年)
甲東園を開発した大阪の豪商さんの家らしい。
ここでは30分に一回無料ガイドがつくっぽい。
「北里研究所本館・医学館」
(旧所在地:東京都港区白金、建設年代:大正4年)
日本の細菌学の先駆者・北里柴三郎氏が建てた研究所の本館です。北里氏は予防医学の礎を築いた偉大な研究者さんだったそうです、
ここで研究してはったんやね。
当時の顕微鏡などの展示もありました。写真で撮れない時代の手書き記録用紙台付き。
すごい。
医学の歴史、ここにあり。
そしてここで3丁目が終了。
あとはいよいよ最終の1丁目に戻る道のりなわけですが、1丁目は少し小高い場所にあるので歩き方を迷いました。
もうバスに乗っちゃおうかな。
(たった1回乗るために500円使うわけ?)
それとも車道の坂道をゆっくり歩こうかな。
でも結局選んだのは「偉人坂」。かの文豪の住宅を通って戻る道を選びました。
しんどかった。
オキエを追い越して行った小学生達も「しんどー!!」と叫んでいたくらいしんどい坂道でした。
(でも叫べる時点で君たち全然大丈夫じゃん。)
当時の典型的中流住宅で、時を隔てて二人の文豪が暮らした家です。
ここは書斎。
この写真と同じ向きで撮ったと思ってたけど、間違えてるな。
女中さん部屋。
当時の典型的中流住宅に女中さん部屋があるっていうことは、家事がいかに重労働だったか。ということになるんですかね。
「西郷從道邸」
(旧所在地:東京都目黒区上目黒、建設年代:明治10年代)
西郷隆盛氏の弟・西郷從道が、東京上目黒の自邸内に建てた接客の場としての洋館です。
フランス人建築家によって建てられたらしいという話を知って、ジェラール山下がいっちょかんでるかどうかを妄想する雪担あるある。
室内はおもてなしの様子も再現されていて、めっちゃテンション上がった。
もてなされた~い!!
テーブルには「Noritake」と書かれたプレートが置いてあったので、これらは想像するにノリタケ食器さんからの寄贈なのかも。名古屋の老舗の会社だからきっとそうやね。
このノリタケの森も行ってみたいな~
コロナ禍が落ち着いたら名古屋に遊びに行って、蒲郡クラシックホテルに宿泊するのが新たな夢となっております。
いったいこの部屋でどんな話が交わされたのかな。
と思ってたら、職場から仕事のメールが入ってきました。なるほどそんな話が交わされていたのかもな。という感じ。
戦国と同様、維新も色々な事がありすぎてオキエの頭では理解しきれませんが、どの時代の人々も臆せず生命を全うされていてすごいなぁ。と、思うばかりです。
皆さんの子孫は平和な社会で幸せに暮らしています。
ありがとうございます。
西郷從道邸を出て森の小径を下れば、待ちに待った最終目的地にたどりつきます。
「大井牛肉店」
(旧所在地:神戸市生田区元町、建設年代:明治20年頃)
見たまんまの牛肉屋さんです。
そして2階に上がれば、
牛鍋屋さんがあるのです!!
炭火でいただく当時スタイル、神戸の牛肉やさんなので味付けは関西風です。
移動は全てローカル線利用までしてやってきた苦労が報われる瞬間です。松・竹・橘から、飛騨牛もも肉の「橘」を選びました。
ドッピンシャン!!
※もはや意味不明のテンション
お店の方が砂糖をひいて、鍋奉行までしてくださいます。
解説は何を書いてもこの時の言葉に追い付かないので、ここは見たまんまで。
長い道のりを乗り越えただけの事はありました。
明治村では先週まではゴールデンカムイのイベントをやっていたらしく、その期間中はこのお店も毎日予約でいっぱいだったそうです。
誠に良きタイミングで来れました。
選んだビールはお兄ちゃんのほうのお顔が載った西郷ビール。
「まぁまぁ、一杯。お疲れさん。」
西郷どんにもてなされているような気分で幸せでした。
♪牛鍋、あかべこ~
明治を生きた皆さんも、ここでは本当に良い笑顔を見せておられた事でしょう。
はぁ~っ!!
良い塩梅に酔っぱらったところで、オキエの明治村散策は終了しました。
帰り道は再びのローカル線で少しでも座れるように、なるべく早い時間にここを発ちたかったのです。閉村より2時間早い14時に明治村を出発し、おかげさまで全ての電車で座って帰ることが出来ました。
長かった(書くのも)明治村散策記録の総括と旅費計算は、また明日のオキエにお願いするとしましょう。
本当にね、
もうね。
つづく