50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

明治村④たどりついた西郷どん

 

 

正午を過ぎたあたりから、しんどさが増して行ったオキエです。

 

村内地図|総合案内板|博物館明治村

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パス。

 

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無理。

 

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あきらめの色も濃くなり始めました。

 

最終目的地の1丁目に向かって、3丁目のなだらかな道沿いにある建物だけを見て行きました。

 

西園寺公望別邸・坐漁荘」

(旧所在地:静岡県清水市興津町、建設年代:大正9年

 

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伊藤博文氏の腹心として働いた政治家・西園寺氏が政治の第一線から退いた後に、清水港近くの興津の海岸に建てた別邸です。

 

「坐漁荘」の名には<なにもせず、のんびり坐って魚をとって過ごす>という意味がこめられていたそうですが、実際には事あるごとに政治家が訪問していたのだとか。まあそりゃそうなるわな。

 

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幸田露伴住宅・蝸牛庵」

(旧所在地:東京都墨田区東向島、建設年代:明治初年代)

 

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小説家の露伴氏は自分の家を「かたつむりの家(蝸牛庵)」と呼んでいて、幾度も住居を変えたそうです。ちなみにこの家で暮らしたのは10年ほどらしい。

 

 

「芝川又右衛門邸」

(旧所在地:兵庫県西宮市上甲東園2丁目、建設年代:明治44年

 

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甲東園を開発した大阪の豪商さんの家らしい。

ここでは30分に一回無料ガイドがつくっぽい。

 

 

「北里研究所本館・医学館」

(旧所在地:東京都港区白金、建設年代:大正4年

 

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日本の細菌学の先駆者・北里柴三郎氏が建てた研究所の本館です。北里氏は予防医学の礎を築いた偉大な研究者さんだったそうです、

 

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ここで研究してはったんやね。

 

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当時の顕微鏡などの展示もありました。写真で撮れない時代の手書き記録用紙台付き。

 

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すごい。

医学の歴史、ここにあり。

 

 

そしてここで3丁目が終了。

 

 

あとはいよいよ最終の1丁目に戻る道のりなわけですが、1丁目は少し小高い場所にあるので歩き方を迷いました。

 

もうバスに乗っちゃおうかな。

(たった1回乗るために500円使うわけ?)

 

それとも車道の坂道をゆっくり歩こうかな。

 

でも結局選んだのは「偉人坂」。かの文豪の住宅を通って戻る道を選びました。

 

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しんどかった。

 

オキエを追い越して行った小学生達も「しんどー!!」と叫んでいたくらいしんどい坂道でした。

(でも叫べる時点で君たち全然大丈夫じゃん。)

 

そしてやっとの思いで到着した森鴎外夏目漱石住宅」。

(旧所在地:東京都文京区千駄木町、建設年代:明治20年頃)

 

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当時の典型的中流住宅で、時を隔てて二人の文豪が暮らした家です。

 

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ここは書斎。

 

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この写真と同じ向きで撮ったと思ってたけど、間違えてるな。

 

女中さん部屋。

 

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当時の典型的中流住宅に女中さん部屋があるっていうことは、家事がいかに重労働だったか。ということになるんですかね。

 

「西郷從道邸」

(旧所在地:東京都目黒区上目黒、建設年代:明治10年代)

 

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西郷隆盛氏の弟・西郷從道が、東京上目黒の自邸内に建てた接客の場としての洋館です。

 

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フランス人建築家によって建てられたらしいという話を知って、ジェラール山下がいっちょかんでるかどうかを妄想する雪担あるある。

 

室内はおもてなしの様子も再現されていて、めっちゃテンション上がった。

 

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もてなされた~い!!

 

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テーブルには「Noritake」と書かれたプレートが置いてあったので、これらは想像するにノリタケ食器さんからの寄贈なのかも。名古屋の老舗の会社だからきっとそうやね。

株式会社ノリタケカンパニーリミテド

ノリタケ食器公式オンラインショップ

 

このノリタケの森も行ってみたいな~

文化と出会い、森に憩う。 ノリタケの森

 

コロナ禍が落ち着いたら名古屋に遊びに行って、蒲郡クラシックホテルに宿泊するのが新たな夢となっております。

 

いったいこの部屋でどんな話が交わされたのかな。 

 

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と思ってたら、職場から仕事のメールが入ってきました。なるほどそんな話が交わされていたのかもな。という感じ。

 

戦国と同様、維新も色々な事がありすぎてオキエの頭では理解しきれませんが、どの時代の人々も臆せず生命を全うされていてすごいなぁ。と、思うばかりです。

 

皆さんの子孫は平和な社会で幸せに暮らしています。

 

ありがとうございます。

 

 

西郷從道邸を出て森の小径を下れば、待ちに待った最終目的地にたどりつきます。

 

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「大井牛肉店」

(旧所在地:神戸市生田区元町、建設年代:明治20年頃)

 

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見たまんまの牛肉屋さんです。

 

そして2階に上がれば、

 

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牛鍋屋さんがあるのです!!

牛鍋 大井牛肉店|グルメ|村内の楽しみ方|博物館明治村

 

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炭火でいただく当時スタイル、神戸の牛肉やさんなので味付けは関西風です。

 

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移動は全てローカル線利用までしてやってきた苦労が報われる瞬間です。松・竹・橘から、飛騨牛もも肉の「橘」を選びました。

 

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ドッピンシャン!!

※もはや意味不明のテンション

 

お店の方が砂糖をひいて、鍋奉行までしてくださいます。

 

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解説は何を書いてもこの時の言葉に追い付かないので、ここは見たまんまで。

 

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長い道のりを乗り越えただけの事はありました。

 

明治村では先週まではゴールデンカムイのイベントをやっていたらしく、その期間中はこのお店も毎日予約でいっぱいだったそうです。

 

誠に良きタイミングで来れました。

 

選んだビールはお兄ちゃんのほうのお顔が載った西郷ビール。

 

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「まぁまぁ、一杯。お疲れさん。」

西郷どんにもてなされているような気分で幸せでした。

 

 

♪牛鍋、あかべこ~

 

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明治を生きた皆さんも、ここでは本当に良い笑顔を見せておられた事でしょう。

 

 

はぁ~っ!!

 

良い塩梅に酔っぱらったところで、オキエの明治村散策は終了しました。

 

帰り道は再びのローカル線で少しでも座れるように、なるべく早い時間にここを発ちたかったのです。閉村より2時間早い14時に明治村を出発し、おかげさまで全ての電車で座って帰ることが出来ました。

 

 

長かった(書くのも)明治村散策記録の総括と旅費計算は、また明日のオキエにお願いするとしましょう。

 

 

本当にね、

 

もうね。

 

 

つづく