50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

孤独を抱きしめる

 

 

今日は一回も外に出ていないオキエです。完全に自室にひきこもっています。(最近の食べ過ぎを省みて)朝から何も食べずにパソコンに向かっています。

 

 

孤独です。

 

孤独すぎてフェイスブックに怖い投稿をしてしまいました。

 

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最近のカメラはすごい。

いいね数の伸びはいまいちですが、お姉さまに花街お化けのフライングだとたしなめられました。

文化的遊び心 - 50女の遊び方

 

 

 

でも、私は孤独が好きです。

 

子供のころから集団行動が苦手でした。協調性が無くて自己主張が激しく、わがまま。気が付いたらよくひとりぼっちになっていました。

 

なので「友達100人できるかな」の歌が大嫌いでした。プレッシャーでしかなかった。無理だろおい。と冷めた心で歌っていました。それと同時に、友達100人いそうな子がうらやましかった。友達100人いそうな子の行動の真似をして、それなりに友達付き合いもできたけど、なんだか空しかった。

 

今から思い返せば、それでも私を友達と思ってくれている優しい誰かが必ずそばにいてくれたのに、幼少期から思春期にかけて、私の心は孤独でいっぱいでした。たぶん誰にだって、家族でも友達でも恋人でも踏み込むことのできない孤独なエリアがあるような気がしています。

 

いつの時だったか、

 

ある日突然「孤独を認めよう。」と思ったことがありました。

孤独を受け入れたらどうなるのか。気が狂うのか?ひょっとして死ぬのか?興味があったのです。

 

夜、布団の中で、

「あぁ。私は孤独だな。」

「そうか。孤独でひとりぼっちなんだ。」

「誰にも見えない場所で誰にも気づかれずに存在しているだけなんだ。」

「世界から、私一人だけがはじかれているんだ。」

と思うと泣けてきて、泣いて泣いて泣いた後、

 

そんな孤独な私が生きるために食べられてくれる食物があって、

そんな孤独な私のために射してくれる温かい日差しがあって、

そんな孤独な私なのに優しくしてくれる人がいて、

そんな孤独な私に微笑み掛けてくる人がいて、

そんな孤独な私がここまで生きるために協力してくれた人たちがいる。

 

と気が付きました。

 

すごい。

私、恵まれてる。

 

これは青天の霹靂でした。

 

 

それから、ちょっとずつ、世界がやさしくなって、孤独が怖くなくなってきたように思います。

 

社会は子ども達に協調性や友達を作る大切さを教えるのもいいけど、その前提として、まずは孤独でも大丈夫だ、ということを教えたほうがいいのではないか。と思っています。

 

見渡せば、堂々と孤独に生きている人は人々の心に安らぎを与えているように見える。孤独が人々に安心感を与えるという、なんとも摩訶不思議な現象が、現実に起こっていると思う。寅さんが愛され続けてきたのは、彼がちゃんとしっかり孤独だったからではないのか?

 

孤独を認めると、幸せになるために周りの人に期待しなくてすむようになる気がします。ただその瞬間に恵まれる奇跡に感動しながら生きていられるような感じです。

 

私たちは孤独でも大丈夫。充分、幸せに生きられる。

 

そんなふうに思っています。

 

 

 

それでも

 

お腹はすいてくる。

本能バンザイ。

夜ご飯は何か食べようかな。