考えに考えた結果、今日は家で掃除をすることにしたオキエです。
お茶の時間は専門店のスコーンやアフタヌーンティーをあきらめて、冷蔵庫にあった小さなチョコでピーチティをいただきました。
(行きたいお店がことごとく火曜日定休日だったので)
ホッコリ。
そんな今日のお茶の時間は、雑誌を買ってきて読みました。
AERAにはACHAプロジェクト代表のまこちゃんの特集記事が載っていました。
そして婦人公論には斎藤環先生(精神科医)と坂口恭平さん(作家・建築家)の対談が掲載されていました。坂口恭平さんは双極性障害から回復した経験をお持ちで、「いのっちの電話」と称して自分の携帯電話番号を死にたいと思う人に向けて公開されています。
どちらも楽しく読みましたが、
個人的には婦人公論の「家族ストレスを手放そう」特集の中の海原純子先生(心理内科医)と桜木紫乃さん(作家)の対談がとっても面白かったです。
日本人は「丸く収めるにはどうすればいいか。」ばかり学んできている。家族がお互いに心地よく暮らすためには「自分の気持ちをちゃんと表現して、双方にとっていい着地点を見つけるスキル」が必要で、そのスキルは自分で学ぶしかない。
みたいな話には、超納得。
そのスキルが身についたら、家族だけではなく、あらゆる人間関係に生かせるのではないかと思います。
自分を落とすことも上げることもせず、我慢することもさせる事も無く、フラットに心地よくつき合える人間関係の中で暮らしていけたらいいな、と、常々オキエも願っています。
家族が全て、家族に尽くす事こそ「無償の愛」と信じて疑わなかった、そしてその愛を使ってあの手この手で私を縛り付けようと試み続けた母親との闘いの日々についても、いつか上手く描けたら書いてみたいなと思っています。
母親を見ていて学んだのは「自分の不安は自分の責任」である、ということ。人の責任にしていたら、永遠にそこから解放されないんだなぁ、ということでした。
自分の責任なら、自分の努力や行動で変えられる可能性が出てくるから。
ある日母が「年をとったら、あんたにもわかるわ。ほんまに孤独で不安やって、みんな言うてはるわ。」と言うので、「じゃあ何でその孤独で不安なみなさんと仲良く助け合おう、支え合おうってならへんの?」と聞いてみました。
その時の母のハッとしたような顔は今でもはっきりおぼえています。
それから母は何人かの孤独不安仲間とお茶をするようになって、その輪が広がって行って、今では毎日誰かと会ってお茶したり電話したりして、家族の中で一番近所では顔が広いんじゃないかというくらいになりました。
母も最初は勇気が必要だったかもしれませんが、
親が勇気を出さないまま自分で招いた結果はあくまでも親のものなので、否定も肯定もしませんが、それを子供が何とかしてあげる必要は全く無い、とオキエは思っています。
そして、勇気を出して人と繋がり始めた母には、敬意を抱きます。
目下の者が見て尊敬する大人とは、何が出来るとか何してくれたとかこれを持ってるとかではなく、自分で自分を乗り越えて行こうとする姿勢があるかどうかなんじゃないかな、という気がしています。
母とはこれからも闘いながら助け合いながら、仲良く暮らしていけたらいいなぁ。と、思います。
そんな日本の家族に悩める女性には超オススメな対談記事でした。
お友達にも貸してあげよっと。
コロナ禍で、内在的なものであった様々な問題が表面化してきている、と、記事の中では語られています。
私達には何が出来なくて、そして何が出来るのか。
オキエも今日のオキエを超えれるように、色々考えて行動してみたいと思います。