今日は子供たちにおやつを分けてもらったオキエです。
娘からアイスクリーム
息子からチョコケーキ
自分の知らないお菓子と出会えるってハッピー。
同じ町で暮らしていても、同じ場所で買い物をしても、目に入るもの耳で聞こえるものは一人ひとり違うのだということに、改めて驚きます。
「日本の貧困は深刻」
「日本に貧国などない」
この二分された意見なんかもよく見かけますが、自分の家族だけでも見ているものがこれだけ違うわけですから、どちらもただ見ているものが違うだけなのだ、ととらえたほうが建設的じゃないのかな。というふうに思います。
自分が見ている狭い狭い範囲のもの以外は見えてない、知らないんだ、という事実は時に大きな衝撃を与えてくれます。
それが生きる面白さであったりもします。
自分の人生に行き詰まったり、閉塞感を感じてしまうような時には、ただ「移動する」ということが実は突破口になったりします。
今まで行かなかった場所に行く、
会わなかった人と会う、
やらなかった事をやる。
(食べなかったものを食べる)←イマココ
そんなことが分かりやすく書いてあって、とても面白い本があります。
行った先で悩み事のすべてを解決してくれるような奇跡に逢うというのではなく、行けばその先で次は何がしたいかが生まれます。そうやって何かを生み続けていくことに意味がある。これはやったもんにしかわからない。
みたいなことが書いてあったような。
気がする。
よ。
違ったらごめん。
だいぶん前に読んだから、今夜はこの本を秋の夜長の友として、読み返してみたいと思います。間違ってたり、もっと良いことが書いてあったら後日加筆修正したいと思います。
高カロリーなお菓子をふたつとも食べてしまった言い訳を一生懸命考えてたら、図らずも面白い本の事を思い出してしまった。
人生に無駄な時間はなし。
(無駄に見える時間すら、無駄というかけがえのない経験の真っ最中)
ということで。