身体が鉛のように重かった月曜日のオキエです。
土曜日は一日パソコン前に居座り、日曜日は一日テレビの前に居座っていたからかな。
動かないと本当にダメやね。
今日仕事の帰りにカーブスに行って、少し軽くなりました。
さて
楽しい東北の旅、泣いても笑っても最終日!
のお話です。
N氏が空港まで送ってくださるとの事で、再び雪深き道を走り、花巻に向かいました。
飛行機の時間まで、宮沢賢治の世界巡りです。
「賢治の学校」では、賢治が好んだ様々な世界をテーマごとに紹介していました。
ミニチュアで描かれた物語もあり、とてもわかりやすかった。
<注文の多い料理店>
楽しい~
「賢治の教室」では、童話に登場する「植物」「動物」「星」「鳥」「石」に関する展示が観れました。
続いて訪れた「宮沢賢治記念館」では、彼の生い立ちから生きざままでがよくわかりました。
先日も書きましたが、オキエは宮沢賢治氏の事を「自然主義の夢見がちな文学青年」くらいに考えていました。
知らないって恐ろしい。
地に足の着いた立派な農業研究者だったんですね。
音楽を愛し、教師生活に充実を見出していたはずの賢治氏が、農業学校の教師を辞めて、一農民となる決意をした時に書かれた詩を読んで、衝撃が走りました。
告別
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管くゎんとをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
記念館前の展望台から望んでも、山は見えず。
晴れてたら早池峰山が見えたらしい。
(ここで再び南部賛歌)
岩手の山々よ、また会いに来るね~
お昼ご飯は「山猫軒」で。
山猫軒 公式ホームページ - 岩手県花巻市 レストラン&土産品 山猫軒
「服を脱げ」とか「油を塗れ」とか言われなくて良かった。
藁で切って食べる餅・でくのぼうと、岩手の伝統漬物・金婚漬。
らんちゃんから一切れもらった白金豚(花巻のブランド豚)のカツ。
岩手の幸を堪能し尽くしました。
最後は林風舎でカフェタイム。
宮沢賢治氏の弟さんのお孫さんのお店だとか。
あっちもこっちも賢治さんだらけ。
そんな賢治ワールドで、美味しいコーヒーをいただきました。
切ない時間。
N氏もらんちゃんも、またしばしのお別れです。
花巻空港には、ゆーみん手植えの林檎の木がありました。
『緑の町に舞い降りて』
いわて花巻空港では、新ターミナルビルがオープンした2009年より、ユーミンこと松任谷由実さんの『緑の町に舞い降りて』という曲をイメージソングとして使用させていただいております。
この曲は、松任谷さんが1975年に岩手を訪れた時の印象をモチーフに作られたと言われており、2009年3月より空港館内のBGMで流されています。
ちぎれんばかりに手を振るN氏に見送られて、
富士山を横切り、
山々を超えて、
大阪城が見えてきました。
ただいま、関西。
新しい笑顔お土産に、帰って来ました。