50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

静寂について考える

 

今日も元気に働いたオキエです。

 

お供はでん六のピーナッツチョコレートでした。



やっぱり美味しい。

ピーチョコはでん六のが一番美味しい。

 

 

と、思います。


嬉々として職場に持って行く準備をしていたオキエに、夫が「全部いっぺんに食べてしまわんように、必要な分だけ小分けにして持って行ったら?あとは隠しといたるし。」と、親切な提案をしてくれました。

 

それは良い提案やなと一瞬思ったけど、隠されたピーチョコが行方不明になる不安に負けてしまって、結局全部持って行きました。

 

大丈夫。

ちゃんと半分しか食べなかったから!!

(最初の決意は1/3やったけど)

 

なんのこっちゃ。

 

 

 

さて

 

話は変わりまして。


最近「静寂」という状態について、よく考えます。

 

オキエは一人暮らしをしたことが無いので、50数年ずーっと音のある環境で暮らしてきました。子育ては終わりましたが、今は母がずっと家にいるので。

 

だから「静寂」の時間は大切でした。

 

仕事中とかではなく、完全に無防備な状態でいられる中で、音が聞こえず誰にも呼ばれる可能性のない時間が宝物みたいでした。


だから一人旅に出たいのかもしれん。

 

でも3月に夫が緊急入院した時に、もしこのまま夫がいなくなって私が一人残されてしまって、家の中の「静寂」がずっと永遠に続いたら…と想像して、とても怖くなりました。

 

今も想像したら怖いです。

 

「音が無い状態」が怖いという、不思議な心理。

※でも今は絶えず音があるので、やっぱり静寂を求めがち。

 

人は「音」とどんなふうにつき合う習性を持ってるのかな。

 

など

 

ぼんやり考えているだけで、結論や気づきがあったわけでもない、取り留めない話でした。