今日も元気に歩いたオキエです。
抗がん剤の治療で気力・体力が落ち気味の旦那と、楽しく一緒にリハビリウォーキングするために、あちこち出かける大作戦を展開しています。
大塚国際美術館、洲本レトロ散歩道、大手筋商店街と続いて、
今日は伏見稲荷を歩いてきました。
伏見稲荷と言えば実家から徒歩10分、まさにオキエの故郷であります。
でも千本鳥居はちゃんと観光地と認識して歩いたことが無かったので、一度ゆっくり歩いてみることにしました。
※保育園の遠足や茶店のバイトでしょっちゅう通ってたけど。
どこまで行っても鳥居。
道中にいろんな社や石塚があるのを楽しみながら、歩きます。
根上がりの松。
木肌をさすって自分の膝を撫でれば、膝痛が治るそうで、やってみました。おかげ様でこのあと延々と続く階段を楽に上れたような気がする。
そして、おびただしい数の石塚の神々に遭遇していきます。
「おかげ」と刻んであった塚、ここは心地いいオーラを感じました。
明治までの稲荷山は、個人で自由に石塚を祀る事ができたのだそうです。
平安時代の人々は、二月初午の日に稲荷山へお詣りすれば福がいただけると毎年足を運んだものでした。中世になると稲荷山の峰々が下ノ塚・中ノ塚・上ノ塚などと呼ばれ、明治になると七神蹟地が確定され、その親塚が建立されました。これを契機にその周辺に個々人の信仰によって表わされた神名を刻んだ「お塚」が奉納されるようになりました。これは、個々人が、ご神徳に因んだ神名やそれぞれの家で祀っている“何某稲荷大神”の神名を、石に刻んで、それを稲荷山で祀りたいとする信仰心(お塚信仰)の表れです。今日その数は一万をかぞえます。
そうなんや。
これは知らなかった。
信仰などなんの興味も無かった幼き日々の私。
熊鷹社、こちらは稲荷大社のホームページに載ってたので、オフィシャル社かな?
ホンマに狐の山なんやね。
そしてまだまだ続く、鳥居。
奉納ほやほやの鳥居発見。
まだ準備段階なんやね。足元に「ペンキ塗りたて」の看板が立っていました。朱色が乾いてから、文字の色塗りなんでしょうね。
そして、高校生のオキエがお正月にバイトしていた茶屋に到着。
お食事処は閉めておられて、販売のみ続けられてました。
うどんが美味しくて、毎正月に由美かおるさんが寄ってくだっていた、というローカルネタあり。もちろんオキエもお会いできて、その美しさに驚愕したものでした。
そして、まだまだ居並ぶ塚と鳥居。
30分くらい歩いた場所にあった茶屋「三徳亭」で、やっとお昼ご飯です。
柔らかい京都のおうどん、うまし。
こちらは茶屋の前の三徳社さん。
それにしても…
個々人が祀った神々が、現代の人たちにも受け継がれて大切にされているの、なんかすごい。
例えばこちらの三徳社さん、今も水産業関係の方が鳥居などを奉納されているという事は、昔の水産業関係者がお祀りになられて、それがその関係者に代々語り継がれて、お参りされ続けている。という話なんちゃうんかな?
そんな物語が1万体以上の石塚ひとつひとつにあると思ったら、すごい山じゃないですか。
三徳亭の隣から眺める京都盆地、美しかった。
今日の千本鳥居散策は、これにて終着。
ここで、折り返しです。
三徳社のあるこの場所は、ちょうど中間地点。でもここから四ツ辻に出た後は、鳥居とお社があるだけ。
無理をしないのがリハビリウォーキングの鉄則。ということで、行きとは違う北側の道を歩いて下山しました。
こっちの道は、鳥居よりも石塚がパラダイス。
池田さんが祀った祠が始まりらしい腰神不動神社。
独立したひとつの神社なんやね、ここも。
腰は要なので、お参りして祈願させていただきました。
そうやって継承され続けている社もあれば、お留守になって空家問題化している社もあるそうで…
ここはさっきの明竹稲荷宮の管轄なんやね。
奥が深い、稲荷山。
お疲れ様でした。
最後に、オキエ的伏見稲荷大社と言えばここ!の「いなりふたば」で、豆大福を購入。有名店「出町ふたば」の初代からのれん分けしたお店です。
美味しいのなんのって。
豆大福の豆の塩見が、甘いあんこと相まって独特の風味を出してます。
ここのおばちゃんはかつての母の太極拳サークル仲間で、今日もお店に元気に立っておられました。良かった。
懐かしさと新しさで、楽しい伏見稲荷散策となりました。
ちなみに
一番左端にある豆無しは、いちご大福です。選びきれずにどっちも買って、オキエだけ2個食べました。
でもふたばさんは、やっぱり豆大福やね。
ああ、ひろ季やのいちご大福が食べたい…
またしても次の欲望が生まれてしまった。
明日、買いに行こう。