今日も自宅でスクラッチなオキエです。
今日のおやつは桃とナッツ。
さて
昨日ご紹介したこのニュースですが。
何度も読み返してはため息をついています。
う、美しい・・・
とても大切な事を、思慮深く、しかし簡潔に、誰も悪者にせずに、まるで詩のように、優しく厳しく誠実に語りかける表現力に感動しているのです。
こういうふうに言葉を表現できる人を、心底尊敬します。
憧れる。
たまらなく憧れる。
オキエが昔自分探しをしていた頃、受講して「あ、もうこれで自分探しは終わりにできる。」と思えたセミナーがありました。実際、それ以降は現実を生きています。
そのセミナーを受講中、または指導中(指導資格も得ました)、何度もリーダー達に言われた言葉があります。
「それは貴方の言葉ですか?」
どこかから借りて来た思考の言葉なのか、自分の心が話している言葉なのか。注意深く見分けるようアドバイスを受けていました。
自分の心から話す言葉なら、それがネガティブであれポジティブであれ、相手に伝わります。でも、どこからか借りて来て頭で話す言葉なら、それがどんなに素晴らしい言葉であっても、伝わることはあまりない。
それらを自分で認識出来るようになってから、激的に人間関係は改善していきました。
いや難しいから今もいっぱい失敗するけどね。
※ホント人生どこまで行っても修行。
そしてもう一つ、「その言葉に隠れた意図はありませんか?」ということも徹底して言われました。
隠れた、意図・・・?
これがコミニュケーションを取る上で、なかなかの曲者でした。
人に親切にするとき、
人にアドバイスをするとき、
人に話をするとき、
「間違ってるよって、わからせよう。」
「私の愛を、すごさを、知らせよう。」
「正しいやり方を、教えよう。」
という、自分でも気が付かないような小さい意図が乗っかっていないか、いちいちチェックするのです。
もうめんどくさくてしんどかった。
何をしゃべっても隠れた意図だらけ。
今でも言葉を発信するたびにこのふたつには注意を払ってるつもりだけど、できてない時も多々あると思う。
※できていなくても自分を責めないのがポイント。ハイ、次!
でも、やはり、この「私の言葉」から「隠れた意図」を取り除いた言葉で話すとき、人と人は自然と繋がれて、思いやりを与え合うことができるように感じるので、これからもこれらの努力はがんばってやっていこうと思っています。
もし人とのコミニュケーションがしんどいような時があれば、このふたつをチェックしてみることをお勧めします。透明な言葉を交わすコミュニケーションは、人を元気にするものだと思います。
※他人のチェックではなく、あくまでも己のチェック。
で
オキエはそれらをセミナーで学びましたが、元から自然とそんなふうに話している人もたくさんいると思います。まえに分析したA子なんかは、その最たるもので。
先のニュースのグドール氏の表現なんかも、その透明さの中から現れた智賢だと感動したわけです。
なので
そんな話を思い出して、自分へのメモとして、書いてみました。
透明な言葉への挑戦は、まだまだ続く。