ごきげんよう、葉っぱや石ころです。
※まだ人間に戻っていなかったっぽいオキエです。
昨日、美山で露天風呂に入っていたら、風と共にやって来てオキエの手にそっと乗りました。
トモダチ・・・
会いに来てくれたんだね。
この葉っぱをじっと眺めていると、ふと疑問がわきました。
「言葉」という熟語には「葉」という文字が入っているけど、なんでやろ?
いろいろ調べてみると、どうやら平安時代の900年代に紀貫之(きのつらゆき)が執筆したと言われる「古今和歌集仮名序」が始まりのようです。※和歌を論じた歌論
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける
和歌は、人の心を「種」として、それがさまざまな言の「葉」になったものです。
世の中にある人 事
業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり
花に鳴くうぐひす
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの
いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり。
力も入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神ですらしみじみと感動させ、男女の仲も和らげ、勇ましい武士の心でも慰める。それが歌なのです。
歌って、言葉って、こういうもんだよ、ということが書かれています。
へー
なんか、葉っぱって、すごいんちゃう。
せっかく葉っぱと名乗ったからには、いつかオキエもそんな歌(文章)が書けるようになりたいな。
と、ぼんやり思ったりしています。
でも
葉っぱや石ころとしては、ここまでだと片手落ち。
次はどこか、あの日あの時あの場所で、石ころとも出逢えるかしら。