50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

市比賣様と再分配考察

 

 

今日は鍼治療から一日が始まったオキエです。

京都 亀岡【腰痛・不眠・頭痛…】原因不明の不調に特化した治療院 はりきゅう治療院 蓮

 

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施術後、オキエの五十肩に適したストレッチの方法をご指導くださる大谷先生。

 

前にも教えてもらったけど家に帰ったらもうわからなくなるので、動画を撮影させてもらいました。

 

ここまでしていただいたからには、ちゃんと毎日がんばります💦

 

 

昼からは、どんより曇り空の中、京都市内におでかけしました。

  

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まずは市比賣神社さんに、お参り。

市比賣神社:女人守護・市場守護のいちひめ神社

 

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前にも書いたことがありますが、オキエのピンチを何度か救ってくださった優しいありがたい神様です。

八百万の神々に出逢う - 50女の遊び方

 

今日はその時のお礼と、これからのお願いに参りました。

「大切なことを恐怖で見失なわないよう、ちゃんと自分がこうありたいと思う自分でいられますように。助けてくださいね。」

 

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やっぱりここの空気、大好き。

 

 

そしてその後、神社の斜め前にある「ひと・まち交流館」に行きました。

ひと・まち交流館 京都

「ひと・まち交流館 京都」は、「市民活動総合センター」「福祉ボランティアセンター」「長寿すこやかセンター」「景観・まちづくりセンター」の4つのセンターからなる複合施設です。

 

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何か福祉関係のいい情報があるかな。

と思って、寄ってみました。

 

が、そんないうほど無かった。

というか、よくわからなかった。

まぁしょうがない。

自分がどんな情報を求めているのかすら、わからないんだし。

 

なので、「京のまちかど」コーナーで、平安京の地図を見たり、

※京のまちづくりの“これまで”と“これから”と関する様々な情報を提供するコーナーです。

 

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図書室で本を読んだりしました。

 

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貧困を救えない国日本

貧困を救えない国 日本 (PHP新書)

貧困を救えない国 日本 (PHP新書)

 

 

気になる箇所をざっと読んだだけですが、それでもなかなか胸が痛い内容でした。

 

ここからは記憶のままに書くので不確かな情報になりますが、オキエ的留意ポイントを少しまとめてみたいと思います。

(こういう話をするときは、「そもそも貧困とは」の定義と「日本の現状」からきちんと説明すべきだと思うのですが、なにぶん手元に資料も何も無いので、今回はざっくりニュアンスだけの話という事で)

 

なぜ「富の再分配」は上手くいかないのか。

その理由の一つに、富を再分配すべき側の人間が、自分はされるべき側の人間である、と思い込んでいるから。というのがあるそうです。(日本人はこの傾向が強いらしい)

事実、再分配すべき側の人間もけっして「楽に暮らしているわけでは無い。」のですが、それは「貧困とは全く別の話である。」という認識が薄い、とのこと。

 

う~

 

これは痛い指摘かも。

 

いつ自分が貧困に陥るかわからない戦々恐々とした中で守りをかためて暮らすより、貧困に陥っても助けてもらえるからと安心して助け合って暮らせるほうが良い社会になるのに、みたいなことも書いてあったと思う。

※これはあくまでもオキエの脳内変換言語で、本にはもっとちゃんと丁寧に解説され書かれています。

 

あと、貧困を加速させるものとして、キラキラ✨ブログの話も書いてあった。

 

げろ~

 

憧れのライフスタイルを創り出すことの功罪、というような書き方だったと思うけど。

 

オキエのブログはキラキラブログ?

 

ちゃうやろ。

いや、わからん。

 

まぁきちんと本書を最後まで読みこんだわけでもないので、これ以上の考察はやめておきましょう。他者の視点は憶測しかできないので、私は私の視点を大切に今日もブログを書くしかない。

 

 

そして

 

最近、よく「優しさの再分配」という言葉を目にするようになりました。そのことに言及していて、考えさせられた記事のリンクをふたつ、はっておきます。

 

回復した京アニ放火容疑者は、なぜ「優しさ」についてまず語ったのか(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 | Books&Apps

 

①の文章より

人の「やさしさ」は無限に湧き出すものではない。有限のリソースである。また、個々人がそれぞれに持つ「やさしさ」は、この社会ではだれに手渡すかを自由に決めてよいことになっている。分け与える対象を第三者に強制的に決定されるようなことはない。その結果として、多くの人から「やさしさ」をたくさん集められる人と、だれからも「やさしさ」を与えてもらえない人へと、ゆるやかに二極化していく。

 

私は今いっぱい当たり前のように優しさを与えてもらって生きています。そして、自分でもそれなりに優しさを発信しているつもりです。

 

けれども、今年のはじめにも書きましたが、私の住む世界の優しさが充分届かない場所で暮らしている人がいることも知っています。

はじめに。<2019> - 50女の遊び方

 

また、「やさしさ」を集められない人は、一見優しさを拒絶していたり、多くを欲しがったり、言い換えれば「ちょっとめんどくさい人」に見える場合が多いと思います。その「ちょっとめんどくさい人」から距離をとることで、幸せな世界は完成されたかのように見えてきます。けれども、私の中にくすぶり続ける罪悪感を、②の文章では指摘していました。

 

②の文章より

自らの幸福のみを追い求め、個人の幸福を最大化する為に「不快な多様性」から目を背けて逃げ続けるのは、社会から恩恵をこうむる一個人としては責任逃れ以外の何物でもないんじゃないかと思うのだ。

 

①の文章より

「この世のどこかには掛け値なしのやさしさがある」というメッセージを見ても、それを「ただしそのやさしさは、お前には生涯だれからも与えられることはない」と読み込んでしまい、恨みを募らせるような人を少しでも減らすには、「やさしさの偏在」そのものを突き崩していくほかない。

 

もう・・・

こういう気付きを得て、なおそれを文章に出来る皆さん、尊敬しかない。

 

ただ、

 

それでもオキエは、やはり幸せな人は自分の幸せを大切にし、優しさがあふれている世界に生きている人は、まずその世界でちゃんと優しく楽しく生きたほうがいいと思っています。

 

その世界があるからこそ「再分配」が可能なわけだし。

 

②の文章より

個人として幸せでありつつ、各人がどう社会に対して責任を果たしてゆくべきか。幸せや優しさをどう社会に再分配するべきか。最近はそんなことばかりを考えて働いている。

 

 

このふたつの「再分配」については、オキエもこれからも色々と考えてみたいと思います。

 

自分が今は再分配する立場にいる事と、それでもいつか再分配される立場に立つ可能性もあるのだという事は、しっかり踏まえておきたいです。

 

 

 

読書が終わってからは、喫茶授産製品コーナーでコーヒーを飲みました。

※障害者の就労機会の拡大と授産製品の販売を目的として、京都ほっとはあとセンターが、1階西側ロビーで営業しています。

  

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帰り道は晴れて良かった。

美しい空に京都タワーが映えていました。

 

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さぁ、忙しくも楽しい三連休がやってくるよ。