50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

サギと論語

 

 

マスカレードホテルのチケットが無事に確保できて、ご機嫌のオキエです。

宝塚歌劇団と向き合う - 50女の遊び方

 

 

今朝職場についてすぐの頃、携帯に一通のメールが送られてきました。

 

 

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最初は友達か誰かが携帯電話会社を変えたんだろうと思って「どなたですか?」と返そうとしました。

※実際名乗るのを忘れて「メルアド替えました~」とかメール送ってきた友人がこれまで何人もいたので。

 

それにしても、食事を誘う間柄の割には言葉遣いが丁寧で、相手の予想が全くつかなかったので、N氏に見せて相談していたところ、

 

横から20青年のキクちゃんが「あ、それ詐欺ですよ。前にめっちゃめんどくさい目に合いました。返信しちゃダメです。」と教えてくれました。

 

色々と調べてみたところ、返信したら「友達になろう」みたいに距離を縮めてきて、最終的に高額請求サイトに誘導されるみたいです。

 

ご注意を。

 

 

このように、若者のアドバイスが大変ありがたい年齢になりました。

 

そろそろ論語でいうところの「耳従う」時期に近づいているのですね。

 

 

論語

孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。

論語 - Wikipedia

 

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

 

まだ50やけど。

 

いずれはちゃんと耳従う可愛い60女になりたいわ。

耳従う:六十歳で他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになる。

 

で、論語でいうところの50は何なのかと言えば、「天命を知る」。

天命を知る:五十歳になって、天から与えられた自分の使命を悟るようになるということ。

 

天から与えられた使命か・・・

 

私の使命はいったい何なんだろう。

でも最近、使命感とか全く薄く生きてるけど。

 

使命感からの解放、それが私の使命かしら。とか、思うほど。

 

たぶん「使命」なんてのは、自分で「使命」とか思ってる間は使命じゃないんじゃない。などと思ったりもする。しんどいだけならそんな使命捨ててしまえ、とも思う。

 

あぁ、この人はこういう「使命」なんだなぁ、と思える人って、それを使命とは言わずに思わずに、ただそれがしたい、それとひとつになって泣いて笑って怒って楽しんで生きてる、そんな気がする。

 

 

そうであるものと、そうでないもの。

その見分けがそこそこつくようになるのが50代かなぁ(余分なエネルギーがなくなるので)、とか、思ったりしています。

 

 

帰り道の天神川、えらい下手くそな鳴き声のカラスがいるなと電柱を見上げたら、コサギがいました。また高い場所に・・・

 

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こちらはフィッシング鷺さんですね。

 

魚さんが急いで要注意ブログを更新しているかもよ。

 

 

 

今日は「サギ」つながりで、10年ぐらい前に遭遇した「人情詐欺」のおっちゃんの話を書きたかったけど、めっちゃ眠いので日を改めます。

 

結果だけ書けばオキエは3,500円を騙し取られたのですが、まるで推理物の芝居を見せてもらっているみたいな真剣勝負の熱演とかけひきがめちゃめちゃ面白くて「もう騙されていてもいいや。面白かった芝居のお代や。」と思うレベルだったので、それは悲しいよりも楽しい思い出になっています。

※おっちゃん、最後は警察に捕まらはりました。

 

 

でも「面白い」で済んで、それはそれでありがたい事でした。

 

 

みんなで助け合って耳従い合って、 大難を中難に、中難を小難に、小難を無難に、うまくかわしていきたいものです。

 

そして天命を、おおいに楽しもう。