50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

A子の観察記録

 

アーモンドクラッシュポッキーが無性に食べたいオキエです。


この気持ちは明日買い物に行くための原動力にしたいと思います。

 

 

さて

 

今日はふと思い立って、長年続けている「友人A子の観察記録」を文章にまとめてみました。

 

N氏と同様に、オキエのハッピーライフに多大な影響を与えてくれるA子。

食後のおやつとN氏の話 - 50女の遊び方

 

コミュニケーションノウハウに興味のある方は、良かったら読んでみてください。

 

 

*** *** ***

 

20年来の友人、A子はとても人気者である。

初対面からたいていの人はA子の事が好きになる。

それは子供も同じで、うちの子供たちも小さい頃からA子のことが大好きだった。そしてその後もよほどのことが無い限り、その好意は継続し続ける。

 

それはなぜなのだろう、その理由が知りたい。

 

そう思って、長きにわたり私はA子を観察し続けた。いったい彼女の何が周りの人をそんな風にハッピーにさせてしまうのか、その謎を解き明かしたかった。

 

そして、ひとつの結論を出すに至った。

 

A子は「今」を生きているのかもしれない。

 

人の話を聞く時、A子はまるで映画を観るように、小説を読むように、その人の話に興味を持つ。そしてその話をより正確に自分の頭の中でイメージするために、質問を積み重ねてくる。それは「傾聴」とはちょっと違う気がする。小さい子供が大人たちの会話に興味深げに「なんで?なんで?どういう意味?」と乗り込んでくる、どちらかといえばそういうイメージだ。

 

 

話は少しそれるが、昔、DV支援を考える勉強会に参加したことがある。多くのDV被害者や支援者が参加していて、ランダムに分かれてグループトークをしていた時に、興味深い出来事が起こった。

 

私のグループには、現役のDV被害者のおばちゃんと、優しいを絵に描いたようなクリスチャン系の支援者がいた。最初にみんなで被害者のおばちゃんの話を聞いて、支援者の人達がなんとかそれを支えようとする構図だった。オキエはその横でその被害経験を聴いて、ホンマかいなと驚くと同時に恐ろしさでふるえ上がって、それを真面目に聞いて一生懸命支えようとする支援者の方々の優しさに敬服していた。

 

するとその被害者の方がビックリするような事を言い出した。「そうやって助けようとしてくださるの、ありがたいんでしょうけど、本当にしんどいんですよね。」

 

「えええええええ!」(心の声)

 

驚きながらも話の成り行きを見守っていたら、支援者さんが優しくこう返してきた。「私たちも、そこから学びをいただいています。だから心苦しく思わないでください。」

 

そしたらまた被害者さん、今度は「そういう学びとか言われるのがしんどいんです。あなた達の成長のために私の被害を利用されている感じがします。」ときた。

 

「えええええええ!!」(リフレインが叫んでる)

 

まさかの展開に驚愕したが、でも、なんとなくわかる気もした。

 


話をA子に戻すと、この被害者のおばちゃんも、A子になら心を許すんじゃないか、と、思える。

 

A子は、相手の話の世界にどんどん入り込んでいく。が、話を聞いてあげようとか、ましてや助けようとか学ぼうとか、そういう気持ちは全くない。ただ、自分がもっと知りたいだけで相手の話の世界に突っ込んでいく。

※ただし、心は許せてもA子に支援はできないので、やはり支援者の皆さんの心あるサポートには敬服しかない、という前提のお話です。

 

人は、基本的に自分の話がしたい。A子ももちろん自分の話をする。けれども、聞くと話すのバランスを取るのが先天的に上手いのだと思う。

 

何かに感動をしたとき、その感動を誰かに伝えた時、ちゃんと感動の伝達、共有ができればコミュニケーションはとても上手くいく。

 

けれども伝えた感動に対して、そこにあるキーワードから連想した聞き手の思考の中の話が返されてしまえば、コミュニケーションはとたんにつまらなくなる。そういう事が重なれば、自然とその聞き手と会って話したい、と、思わなくなってくる。

 

人間同士のやりとりには無限のパターンがあって、それは関係性によっても変わってくるし、人間性とはまた別の話だし、全く一概にはくくれないけれど、いくつかの代表的なコミュニケーションパターンをここでとり上げて見てみたい。

 

 

◆A子がよく使う良好なコミュニケーション

 

感動が伝わったと実感できるパターン

B「うちの庭の金木犀が良い匂いなの。」

C「え~、もう匂うんだ!庭に何本くらいあるの?」

 

感動に感動がぶつかって盛り上がるパターン

B「うちの庭の金木犀が良い匂いなの。」

C「えーそうなの!!私、金木犀大好きなの!!いいなぁ!」

 

 

◆ありがちなしんどいコミュニケーション

 

感動が記憶にすり替えられてしまうパターン

B「うちの庭の金木犀が良い匂いなの。」

C「そういえば昨年行ったD町の金木犀は見事だったよ。行ってみたら?」

 

これは世の中に掃いて捨てるほどよくあるパターかもしれない。社会でも、家庭でも。話し手の感動や経験を聞き手が自分の記憶や考えにすり替えて返してしまう、すなわち話し手を見ていないコミュニケーションの代表格である。

 

もちろん腹に己の意図をしのばせて良好なパターンをあえて使ってくる輩もこの世にはごまんといるわけで、一概に何がいいとかどうしたほうがいいとかいう話ではない。

 

が、自分がなぜかあまり人から話しかけられない、コミュニケーションがうまく取れない、と悩んでいる人は、自分の人格を否定する前に、自分の話し方の癖を見直してみてはどうか、と思う。

 

わざわざ性格を変えなくても、ちょっとしたコツを得るだけで人生は劇的に変化したりするものなのだ。

 

かく言う私もA子を観察することで、自分のこのしんどいパターンに気づく事のできた一人である。もちろん私なりに、であるが。

 

このように、自分が「素敵だ」と思う人をよく観察して、なぜ素敵なのかその理由を考えて、そのエッセンスを自分なりに取り入れる、ということができれば、それは人生を生き抜く上での偉大なる智慧になる。

 

 

しかしてここで、A子はなぜこの良好なコミュニケーションのパターンを自然に使えるのか、というテーマに突き当たる。

 

そして、最初に出した結論に戻る。

 

A子は「今」を生きているのかもしれない。

 

犬や猫を思い浮かべてほしい。彼らには「今」しかない。過去の栄光も、将来の不安も、何もない。だから、好奇心そのもの、愛そのものである。さすがにA子もここまで単純とは言わないけれど、やはり多くの時間を「今」に生きているのだ、と思える。

 

「うちの庭の金木犀が良い匂いなの。」と言われれば、A子の今その瞬間の頭の中にはその庭の金木犀のことしか無いのである。

 

これはA子の人格の問題ではない。

 

人格的に言えば、私たちと似たり寄ったりの50女である。ずば抜けて優しいわけでも気が利くわけでも、ましてや崇高な思想があるわけでもない。世のため人のために生きようなんて気持ちも無いし(あったらごめん)、嫌なことがあれば普通に機嫌悪いし、文句も言うし、良く寝る。「デビルA」という裏呼称があるくらい意地悪な面もある。

 

ただシンプルに、今ここにあるものにA子は真っすぐに関わろうとし、それを心のまま素直に経験しようとするから、みんな楽しいのである。今この瞬間、細胞が「生きている」「存在している」「人と関わっている」と実感できるコミュニケーション、それがA子の周りにはあるのだ。

 


A子は「今」を生きているのかもしれない。

 


そして思い至った結論だ。

 


では、いったいどうすればA子のように「今」を生きられるようになるのか。

 

これからも、A子の観察は続く。

 

 

***  *** ***

 

とある午後のN氏とA子。

 

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