葉っぱに引き続き、石ころもひろってきたオキエです。
車から降りた瞬間、目が合いました。
石ころについていろいろと考えてみたところ、いきつくところ、石ころの究極の神聖なる姿は「珠」じゃあないかということで、今夜も珠様主演のBADDYを観て泣きました。
話を朝に戻しまして。
昨夜はマニュアルクイーンの作業で朝の4時まで起きていたので、今朝は昼前までうだうだしていました。
お腹がすいて起きて、木曜日はエイミちゃんもお仕事がお休みだったことを思い出し、誘ってランチに付き合ってもらっていました。
メゾンブルー@青い家
姉妹店 MaisonBleu(メゾンブルー) | Bistro仙人掌 - 京都・亀岡、個人宅のような落ち着いたインテリア空間で、普段着で楽しむフレンチ
おしゃれでボリュームがあって美味しい、ゴスペルのお友達のお店です。
このお店の美味しいものがお皿の上に詰め込まれたランチプレート。
タルトとコーヒー、そしてもうワンドリンク(食事と一緒に飲むジュースが選べます)が付いて1,600円+税です。
お腹がいっぱいになります。
今日はエイミちゃんと「善意」について考察しました。
自分がもし善意の行動をとるとき、それはほんとうにその人のためを思っている行為なのか、それとも自分の万能感、自分が何かの役に立つ事で得られる満足感のための行為なのか、あるいは相手より自分が正しい、という前提に立っていないか、まず自分にちゃんと問わないとな、みたいな話をしました。
「あなたのためを思って。」という言葉があなたのためでもなんでもない、という事くらいはもう私たちはうすうす知っていますが、善意の盾を構えられると、堂々と戦うことすらできなくなるのがやっかいなところです。
善意は時として呪縛になります。
呪縛
まじないをかけて動けないようにすること。また、心理的に自由をうばうこと。 「 -を解く」 「何物かに-されたような束縛感」
その呪縛を受け入れないで自分を大切にして生きることは、時としてものすごく勇気もパワーもいるし罪悪感をも伴うけど、負けずに自分自身を生きたいものだと思います。
BADDYの話に戻りますが、
珠バッディの勝手気ままな悪事に対して、ちゃぴグッディが怒りに目覚めて踊っているシーンを観て泣く女性が多いのは、そんな「呪縛からの解放」のようなテーマを感じさせるものがあるのかもしれません。
♪ こんな感情、初めて知った
怒ってる、怒ってる、生きている、私、いま・・・
自分自身をちゃんと生きて、人の自分自身をそのまま認めて、そして出逢って、化学反応を起こして、喜怒哀楽すべてを楽しんで幸せに生きていたい。
そんな玉石混合な毎日を言の葉に乗せて、50女の魂の記録、これからも楽しんで綴っていけたらいいな・・・
と改めて思わせてくれるような、葉っぱや石ころとの出逢いでした。