50女の遊び方

50代女性・関西人。己の人生にひたむきに向き合う魂の記録。

「私」を生きる

 

 

失業して3週間がたちました。ちょっと風邪気味のオキエです。

 

綺麗な部屋で花曼荼羅に囲まれてお茶を飲む。ストレスフリーな毎日の幸せを踊りだしたい気持ちでかみしめています。

 

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と同時に、働いていない罪悪感が日に日に押し寄せてきていて、本の整理していてもこんな文字が目に入ってきたとたんギャーごめんなさーい!!と叫んでしまう。

 

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先日「もうさぁ。この歳になったら好きなことやって暮らして、お金が無くなったら飢え死にしたらええんちゃうかな~って思うねん。」と言ったら家族のみんなにドン引きされました。

 

そんなに変なこと言ったかな。この辺の感覚が私はちょっとおかしいのかな。

 

私が好きなように生きていたいから、旦那の好きなように生きる権利も認めていたい。もし旦那の描く好きに生きる未来に私を扶養する義務が重荷になるなら、いつでもその義務から解放してあげたいという気持ちは常に持っている。自分一人でも生きていけるけど(飢え死にするかもだけどそれは私の問題なので気にしないでね)、お互いの好きを尊重しながら支えあって助け合って生きていけるならそれはそれで嬉しい。

 

そんなふうに思うんだけど、なかなか理解しがたいものがあるのかな。まぁもちろんお腹がすいたら考えも変わるだろうけど。

 

※若い人や子供たち、あるいは社会的システムによる本意でない飢えは論外だと思います、念のため。

 

 

 

何年か前、息子が大学入学前後にうつ症状に陥って、2年間ほどずっと「死にたい」という言葉を繰り返していた。自殺の仕方の本を読んだり、腕に切り傷が増えて行ったりしていった。

 

息子を失ってしまうかもしれない恐怖はこれまで生きていた中でも最大級の恐怖で、私はその暗闇の中の出口を探すために必死でもがき苦しんだ。心の安らぎを得るために、必死で息子に心の平安を取り戻すよう訴えた。けれども訴えれば訴えるほど彼の心は暗闇に飲み込まれていくので、なすすべがなかった。

 

その時に私を助けてくれたのは、私自身とコビトたち(小さいおっさん)。

コビトと暮らす - 50女の遊び方

 

己の活字中毒な性分と、ふっと私の目に留まるように情報を置いていくコビトのおかげで、いろんな本に巡り合えて、そしてそれをむさぼるように読み続けた。

 

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中でもこの本はほんとうに出逢えてよかった。

 

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「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義

 

未熟な0人称から一人称への脱皮、そして則天去私という超越的0人称への成熟という成長プロセスに、やっと求めていた答えにたどりついた感覚をおぼえた。素晴らしい本だと思います。

 

これらの本との出会いの中で私が理解したのは、

 

「死にたい」経験すら、それは彼の経験であって私の経験ではない、ということ。

 

そして彼が経験しているすべてが彼には必要で、それはどの経験もとても尊いのだ、ということ。そこから彼が選ぶ答えや道や歩く速さは、彼にとってすべて正しいのだ、ということでした。

 

また、彼の抱える自己否定を解決するために親として唯一出来ることは、自分自身の自己否定を解決することしかないのだ、ということも大きな気付きでした。自分の気持ちや思い、だめだと思うような経験すらそのままで認めて、自分自身を大好きになって生きる。「こうでなければならない。」という思い込みをひとつずつ外していき、自分も息子もまったく真っ白な場所から自分の声をひろいださなきゃいけない。ということも感じました。

 

その上で、私はあなたが好き。あなたに生きていてほしい。そして生きることの楽しさを経験してほしいと願っている。好きなようにやればいい。間違えていい。ゆっくりでいい。失敗したりつらいときや困ったりしたときは、話してくれたら一緒に解決するために力になりたい。

 

と、自分の正直な気持ちを相手の反応や受け取り方に期待をしないで、ただ丁寧に伝えるしかないこともわかりました。

 

 

息子はその後バイクに乗り出して、仲間ができて夢が出来て、もちろんいろいろあるみたいだけど乗り越える力もついてきて、おやっ、と思うくらい頼もしくもなってきて、元気に暮らしています。バイクに乗るのでとても心配でしたが、それも彼の経験。彼の人生。彼が選んだ彼の責任。ということで、私も自分と分けて考えられるようになりました。

 

ただ、失敗や苦しみを乗り越えるプロセスを歩む道中でも、その刹那「死」に飛び込んでしまうことは可能なので、自殺対策は地域問題、社会問題としてしっかり取り組む必要があることに異論は無い、という点のみ捕捉しておきます。

 

街中にコビトを配置しよう!!

 

 

そして、昔はどうかわからないけど、今の時代は好きなことをやっていないと生きにくい時代なんだな、ということも痛感しました。この先の見えない高齢化社会で、何十年続くかわからない老後を不安に思ってたら明日を生きられなくなる。だから、今の一歩一歩を、お天道様に与えられた今一瞬一瞬を大切にしたいだけなんですけどね。

 

ああ、生まれて良かった。楽しかった!と思って天寿を全うしたいものです。

 

 

 さて

 

 

当時お世話になった本たちも、珠玉の数冊を手元に残したあとは

 キフ★ブック

を通してまた誰か必要な人のところに届けてもらうことにしましょう。

 

 

活字中毒というよりも活字オタクという方が正しいかもしれないオキエの最大の娯楽は、このブログを書いていることかも。

 

でもたぶんもうしばらくしたら働きたくなってくると思うので、その時はその時の私にまかせるとして。今日は今から人情ものの時代小説を。読むのだ!!

 

ハッピー!!!